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大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)1027号 判決

控訴人 北谷重剛

被控訴人 奈良学芸大学長

訴訟代理人 大久保敏雄 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三一年一〇月二二日附で為した退学処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、事実関係につき控訴代理人において、「控訴人には被控訴人主張の如き不正受験の事実が無いのであるから、本件退学処分はこの点において事実に基かずして為された違法があり、仮に右不正受験の事実ありとしてもこれを理由として為された本件処分はその裁量の範囲を超え著しく控訴人に苛酷なものであるからこの点において違法がある。本訴は右両者を理由として本件処分の取消を求めるものである。」と釈明し、証拠関係につき、(中略)原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

理由

被控訴人が国立学校設置法により設置せられた奈良学芸大学の学長であつて、学校教育法同施行規則等により同大学における入退学の許否及びこれに対する懲戒等につき国家意思を決定しこれを外部に表示する権能ある行政庁であること。控訴人が同大学二部甲類理科四回生に在学中なる昭和三一年一〇月被控訴人が同大学々則第四一条第一項第四号第二項により控訴人を退学処分に付し同月二二日附書面をもつてその旨控訴人に通知し同書面が同月二四日控訴人に到達したことはいずれも当事者間に争がない。

そこで以下右退学処分に控訴人主張の如き違法ありや否やを判断する。控訴人が昭和三一年九月一八日同大学において助教授小川庄太郎監督の下に同助教授担当の微分積分学の試験を受験中その試験場内に携行したセルロイド製下敷に鉛筆書があつたので、同助教授が控訴人から右下敷を取上げ控訴人に不正受験(所謂カンニング)ありとしたことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第三第五号証、前記下敷たることに争のない検乙第一号証の一、二、原審ならびに当審証人小川庄太郎同上田敏見同宮本陸治当審証人久保田勇夫の各証言、当審ならびに原審における控訴本人訊問の結果の一部を総合すると、前記試験は同大学のAO八教室(収容入員約四〇名)において前同日午後二時四五分から二時間の定(第七、八時限)で受験者二〇名前後の者に対し前記小川助教授のみの監督の下に行われ、控訴人は同教室南側窓際最後部の隅の机に席をとつてこの試験を受けたのであるが、試験開始後二、三十分の頃同助教授が控訴人の態度に不審を抱きその傍に到つて答案(乙第三号証)を取上げたところ、その下の前記下敷(検乙第一号証の一、二)の上部及び下部に前記のとおり鉛筆書があり、その記載の一部が試験の範囲内に属する事項であつて前示答案の第三問の記載の一部に合致し且つ出題(乙第五号証)の解答とは全く異るものであつたこと、そのとき控訴人が席を立つて同助授に対し強硬にその下敷の返還を迫り、「覚語している。」旨述べたので、同助教授において他の学生の受験中でもあり且つ控訴人が処罰を覚悟しているものと考え右下敷を控訴人に返還したこと(但し控訴人が下敷の返還を求めたこと、覚悟していると述べたこと及びその下敷の返還を受けたことはいずれも当事者間に争がない。)、その試験終了後控訴人が右助教授から、同大学々生課長上田敏見立会の下に、その心境を問われたのに対し、母から白紙答案を出すことなく、何でもよいから書くようにと予て注意せられている旨及び下敷を写すことは自分のみの考でしたことである旨答えたことが認められ、そうすると控訴人は右答案の一部を、その出題に対する正解も判らぬままに、予め鉛筆で下敷に書込んだ記載の一部をそのまま答案用紙に写して、作成していたものと認むべく、右認定に反する当審証人北谷佐賀三同北谷トクエ原審ならびに当審における控訴本人の各供述部分はこれを前掲各証拠に照して措信せず、他に右認定を覆して、右下敷の記載が当日の試験と無関係のものでありその記載の総てが前記答案の記載のどの部分にも一致せず控訴人が右下敷の記載のどの部分をも答案用紙に写したものでないことの控訴人主張事実を認めうべき証拠なく、そうして叙上認定にかかる控訴人の所為が被控訴人主張の如く不正受験の所為であること勿論であり成立に争のない乙第四号証により認めうべき同大学学則第四一条第一項第四号にいわゆる学生としての本分に反するものであること勿論であつて、なお本件退学処分が控訴人の右不正受験を理由として右学則の法条により為されたものであること当事者間に争がないから、右退学処分が事実上の根拠に基かずして為されたものということはできない。

次に、控訴人がこれよりさき昭和二七年三月三一日被控訴人から不正受験を理由とする前記学則法条により退学処分を受け、後昭和二八年一〇月一日誓約書を差入れて再入学を許された者であること、本件処分当時控訴人が同大学において履修を要する一二四単位の課目中既に一一三単位を履修していたことはいずれも当事者間に争なく、成立に争のない甲第二号証第三号証の一乃至八第五号証乙第一第二号証、原審ならびに当審証人小川庄太郎同上田敏見同宮本陸治当審証人久保田勇夫同北谷佐賀三(但一部)同北谷トクエ(但一部)の各証言、原審ならびに当審における控訴本人尋問の結果の一部を総合すると、控訴人は昭和二七年三月同大学の二個の教室において行われた教育原理の試験をその学生として受験した際第一の教室から答案用紙を持出し時間終了間際の混雑に乗じ第二の教室に紛れ込み答案を提出しようとして発見せられ更にその翌日の試験にもその受験態度を怪しんで注意した監督教官を、生意気だとして、室外に押出そうとしたことがあり、これにより同月三一日前記退学処分を受けたのであるが、その後父兄の熱烈な懇願と当時の学長の、多数の反対を排する特別の意見により、「今後勉学に精進するは勿論、学生の本分に反するが如き行為を再びせず若しこれに反したときは即時退学を命ぜられても異議ない」旨記載し父佐賀三と連署した誓約書(乙第二号証)を前記のとおり差入れて再入学を許されたものであること、然るにその後も控訴人の勉学態度は不良であつてそれまでと同様白紙の答案を提出し講義途中に教室に入り来つて居睡する等反省の色なく、その学業成績もまた不良であつて本件退学処分当時所要の一二四単位中一一三単位を履修したこと前記の如くであるけれどもなお数学専攻の第四回生としての控訴人に必要な二八単位中履修したもの六単位にすぎず必修の一二単位の全部その他を残していて同年度中の卒業が困難視せられていたこと、かかる状況にあつた昭和三一年九月一八日本件不正受験があつたので、同大学においては同月二四日、二六日、二九日、の三回にわたり教務補導委員会を開催し同委員会が右不正受験の事実を肯認して作成した原案を更に教授会に諮つた上被控訴人において本件退学処分を為すに至つたのであるが、その間前記小川助教授から詳細事情を聴取する反面同大学学生部長(教授)宮本陸治において、学生課長(助教授)上田敏見及び補導教官(助教授)久保田勇夫立会の下に、控訴人から事情を聴いて聴取書(甲第五号証)を作成して控訴人の署名を得、更に右補導委員会にも控訴人の出席と意見の陳述を許し、また前記下敷をも提出せしめる等充分の調査をした上、叙上控訴人の行状に照しこれを退学せしめるのが相当であるとして本件処分をしたものであることがそれぞれ認定せられ、右認定に反する当審証人北谷トクエ同北谷佐賀三原審ならびに当審における控訴本人の各供述部分はこれを前掲各証拠と比照して信用せず、他に右認定を履して本件退学処分が、前記小川助教授の控訴人から本件下敷の返還を求められたことによる感情の縺れに端を発し同大学教授の多数が控訴人の前記再入学を快しとせずその放逐を企図し又控訴人に不正受験の習癖ありとの先入観念に捉われてその放学の理由発見に汲々たる折柄本件下敷問題が発生したのでこれを機として控訴人の弁解をきくことをもせずして急速に為されたものであること及び控訴人が当時本件処分を受けなかつたならば殆どの課目を履修しえたものであるとの控訴人主張の各事実を認むべき証拠なく、なお前認定にかかる学則第四一条によれば同大学々生に同条第一項第四号の事由あるときはこれを懲戒することを得べく(第一項)、右懲戒の一として退学処分を為しうる(第二項)旨の定あること明らかであつて右認定に反する証拠なく、叙上認定の事実によれば本件退学処分がその内容において、控訴本人供述にかかる、「控訴人がその受験の数日前室生寺において開催せられた青年団幹部講習に出席したため受験準備が充分にできなかつた。」との事実を考慮に入れても、著く裁量の範囲を逸脱し控訴人に苛酷に過ぎるものということができないし、その処分決定に至る手続においても著く慎重を欠いた不公正のものということもできない。

以上説明のとおり本件退学処分は事実上の根拠に基かないものでなく又控訴人に対し苛酷に失し学長たる被控訴人の裁量の範囲を逸脱した不公正のものでもないから、右処分にこの違法あることを理由とする控訴人の本訴請求は失当として棄却を免れない。

そうすると右と同一の理由により控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 竹内貞次 大野千里)

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